最終更新 2018.05.07
第四紀とは人類の時代で、およそ260万年前から現在までの期間です。栃木県にはこの時代に活動した火山の石や地層が残っています。およそ1万年よりも後に活動した火山を活火山といいます。栃木県内には活火山を含む火山群が大きく3カ所に分布し、それぞれ那須火山群、高原火山群、日光火山群と呼ばれています。
栃木県の第四紀火山の分布。大きく那須火山群、高原火山群、日光火山群のまとまりに分けられ、少し外れて鬼怒沼山や袈裟丸山などが見られます。[画像クリックで拡大]
出典:産総研地質調査総合センター 、「栃木県シームレス地質図」 および地理院地図 白地図 を利用。
このうち、日光火山群については「日光火山群の地質」のページで、高原火山群については「高原火山群の地質」のページで、那須火山群については「那須火山群の地質」のページで詳しく紹介しています。
栃木県の山地には、第四紀の火山の石や地層が広く分布しています。古いものでは、すでに火山の形がわからなくなっている場合もあります。例えば、群馬県との県境に位置する皇海山、袈裟丸山周辺の火山岩は、かつての火山が浸食されて山体の形を失い、一部分だけが残っているものです。
「天狗の投石」。日光市足尾町銀山平から先の林道脇に、前後の道には露出しない安山岩の岩塊が斜面を覆っている場所があります。これは、尾根にのみ残された古い火山の溶岩が崩れてきたものです。1991年11月撮影。[画像クリックで拡大]
活火山をともなう那須火山群、高原火山群、日光火山群にも、古い火山があります。この3地域では、いずれもおよそ50万年前頃から活動が始まっていて、最初の頃に活動していた火山は長く浸食を受けてきた結果、山の形が失われつつあります。
一方、そのような火山では、火山体の内部の構造を観察できることもあります。例えば、噴火で溶岩が流れた場合、地表は一面溶岩に覆い尽くされますが、その内部を見ることはできません。しかし、古い火山の溶岩台地を川が刻むと、その内部構造が見えてきます。
女峰火山のブロック溶岩。稲荷川に浸食されて、溶岩流の断面が露出しています。[画像クリックで拡大]
出典:産総研地質調査総合センター 、絵で見る地球科学「溶岩流の断面」
上の写真は、稲荷川の崖に現れた女峰火山のブロック溶岩の断面です。上部の地表に近い場所では地面と平行な方向に細かい節理ができています (板状節理) が、その下の溶岩流の中心部分は、むしろ縦方向の粗い節理ができている (柱状節理) のがわかります。高温の溶岩流が表面ほど早く冷え、流動する方向に力を受けて割れ目が入りやすくなるのに対し、内部は流動がおさまってからゆっくり冷えたことを示しています。
火山の地質は地形によく現れます。高精度の標高データで地形を見てみると、火山地形の保存状態から古い火山と新しい火山がよく識別できます。那須火山群、高原火山群、日光火山群については、「火山の3D地質図」で、地質の分布や地形を立体的に見ることができますので、ぜひお試し下さい。
栃木県内で1万年よりも新しい時代に活動した火山は、那須火山群の那須岳 (茶臼岳)、高原火山群の富士山、日光火山群の白根山・男体山が知られており、気象庁の活火山に指定されています。それぞれの地域は有数の温泉地帯でもあり、火山活動が新しいまたは盛んな場所ほど、温泉の温度も高い傾向にあります。
那須火山群は栃木県から福島県にかけていくつもの山々が南北に連なる火山地域です。このうち最も新しい活動記録を持つのは那須岳 (茶臼岳) で、特にその西側斜面に現在も活発な噴気が見られます。
南西側から望む那須岳 (茶臼岳)。西側斜面から立ちのぼる噴気が山頂方向に流れているのが分かります。1999年8月撮影。[画像クリックで拡大]
この山頂西側の噴気地帯は「無間火口」と呼ばれ、記録に残る20世紀の那須岳の小規模噴火では、いずれもここが噴出源となっています。那須岳はロープウェイが通じ、気軽に登ることのできる山ですが、山頂周辺にはほとんど植生がありません。このため、溶岩や噴石など火山の生々しい地質が各所で観察できます。斜面の一部には構造土と思われる表土地形も観察できます。
那須岳無間火口の噴気。2015年5月撮影。[画像クリックで拡大]
那須火山群については「那須火山群の地質」のページで詳しく紹介しています。
高原山では、歴史に残る噴火活動はありません。最新の活動としては、北麓に位置する富士山の溶岩ドーム活動が約6500年前にありました。富士山周辺は、大沼、小沼、ヨシ沼など、全体として東西方向に長い凹地になっており、正断層に伴う地溝と考えられています。
富士山周辺の正断層群とそれに関係する「地すべり」については、こちらのページを参照してください。
東側 (大沼) から望む富士山。1999年1月撮影。[画像クリックで拡大]
富士山の西側は溶岩潜頂丘になっていて、その西の端に位置するのが新湯温泉です。塩原は温泉の多い土地ですが、その中でも新湯温泉の温度は最も高く、すぐ東側の植生のない斜面からは現在でも噴気が上がっているのが観察できます。もみじライン道路をクルマで通るだけでも硫黄臭がするのがわかります。
「爆裂噴火跡」と言われる新湯の噴気地帯。新湯から富士山に登るコース脇から2018年5月撮影。[画像クリックで拡大]
一方、高原山は数十万年前には激しい噴火を起こしており、栃木県北部一帯に火砕流堆積物 (大田原軽石) を残しています。「大田原火砕流」については、こちらのページを参照してください。
高原火山群については「高原火山群の地質」のページで詳しく紹介しています。
日光では日光白根山に噴火記録が残っています。しかし、付近の人口があまり多くないこともあり、詳しく観測された噴火活動はありません。この70年の間では火山性の地震が観測されるだけとなっています。
山頂の北方、弥陀ヶ池から臨む日光白根山の山頂溶岩ドーム。1995年6月撮影。[画像クリックで拡大]
火山の活動の歴史は地形にも現れており、新しい溶岩ほど独特の地形 (溶岩ローブやしわなど) がはっきり残っています。日光男体山の活動の中で最も新しい溶岩は、山頂火口から北方に流下した御沢溶岩ですが、戦場ヶ原からはその形がよくわかります。その北にある三岳もほぼ同じ頃の溶岩と考えられており、日光湯元温泉はその西側に位置しています。
西北西側から望む男体山。写真左側に、男体山北麓を流れた御沢溶岩が見えます。雪のために末端崖が強調されています。左端奥に見えるのは大真名子山。1998年2月撮影。[画像クリックで拡大]
日光火山群については「日光火山群の地質」のページで詳しく紹介しています。また、男体山については、「男体山の活火山指定」のページもご覧ください。
火山の周辺には、ときに広大な扇状地が形成されることがあります。これは、成長を続ける火山から大量の礫が供給されること、そしてときには激しい噴火により山体崩壊が引き起こされることによります。
特に、那須火山群の東側から南側には火山性扇状地が顕著に発達しています。那須火山の成長の過程で、何回かの山体崩壊があったためです。より詳しくは、「那須火山群の火山活動と山体崩壊」の説明をご覧ください。
山体崩壊を伴うような大規模噴火は1888年の磐梯山、1982年のセントヘレンズ山が有名です。この結果できた堆積物は「岩屑なだれ堆積物」と呼ばれ、大小様々な岩屑からなる厚い地層です。ときには「流山」と呼ばれる小山を含むこともあり、独特の景観を呈します。鳥海山の北西に位置する象潟はその例です。